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福岡地方裁判所 昭和51年(ワ)820号 判決 1979年7月12日

原告 松田利夫

被告 国

代理人 泉博 竹之内正至 ほか二名

主文

一  別紙物件目録記載の土地が原告の所有であることを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事  実<省略>

理由

一  請求原因について

1  五〇九番一六の土地につき、昭和二三年三月二六日貞方巌から原告へ所有権移転登記手続がなされたこと、本件土地が五〇九番一六の土地と隣接していることは当事者間に争いがなく、<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(一)  本件土地の現況は、その東側を国道三八五号線(旧県道神埼線)に、西側を老司川の水路に、南側を五〇九番一六の土地(面積三四・七一平方メートル)にそれぞれ囲まれ、ほぼ三角形をなす面積四二・三二平方メートルの土地である。本件土地の老司川をはさんだ対岸は、福岡市南区大字三宅字堀川五五八―九番地となつている。

(二)  原告は、貞方巖から、昭和二二年ころ、五〇九番一六の土地を買い受けたが、その際、貞方巖の代理人貞方禎造から五〇九番一六の土地及び本件土地の全部を併せて五〇九番一六の土地一個として指示されたうえ、引渡しを受けた。

(三)  原告は、昭和二三年四月ころ、五〇九番一六の土地及び本件土地の南側の一部にかけて、その地上に木造瓦葺二階建店舗付住宅(床面積三四・八二平方メートル)を、また本件土地の北側部分に木造瓦葺平屋建物置(床面積一二・一五平方メートル)をそれぞれ建築し、さらには、右両建物の間の空地部分とその東側を走る県道神埼線との境界に塀を築くなど、本件土地と五〇九番一六の土地とを一体化した宅地として利用してきた。そして、そのころ、原告は、右店舗付住宅に入居して、アイスキヤンデーの製造販売業を始め、前記空地部分にあたる本件土地を薪炭類の置場などとして使用した。

(四)  原告は、昭和二八年ころ、前記空地部分の大半を利用して、県道神埼線に面する形でバス停留所の待合室や切符売場を建築し、そこでバスの切符やアイスキヤンデーを販売するようになつた。

(五)  原告は、昭和三九年ころ、福岡県知事から公有水面占用許可を得て、本件土地と老司川の対岸である前記堀川五五八―九番地の土地との間を架橋し、本件土地、五〇九番一六の土地及び老司川の水路の上に跨る貸店舗(床面積八二・六平方メートル)を建築した。右貸店舗の建築にともない、原告は、前記店舗付住宅から居を移し、以来右貸店舗を他に賃貸している。

2  右認定事実によれば、原告は、昭和二三年四月ころから現在に至るまで、本件土地に建物を建築所有するなどして、本件土地の占有を継続してきたことが認められるとともに、その間、原告が所有の意思をもつて平穏かつ公然に本件土地を占有してきたことが推認される。

二  所有の意思の欠缺について

原告の本件土地占有が前記認定事実のとおりであるとはいえ、原告が五〇九番一六の土地を買い受ける際、地積についてどのような交渉がなされたか、それが売買代金を決めるのに考慮されたのかどうか、登記手続の際に公簿面積を確認したのかどうか、前記認定事実から明らかなように、右土地上にその地積よりも大きい床面積の建物を建てたが、その際、右土地をはみ出したことについて気付いたのではなかつたのかどうかについて、これらの点は、原告の本件土地占有につき所有の意思の有無を決するうえで軽視し得ないところであるにも拘らず、本件においては、これを明らかにする証拠はなく、他に抗弁1の事実を認めるに足りる証拠はない。

三  公物の時効取得について

1  本件土地が公図上水路として記載されていることは、当事者間に争いがない。右事実並びに<証拠略>を総合すれば、少なくとも大正一三年ころまでは、本件土地が普通河川老司川の水路であつたことが認められる。これに反する証拠はない。右事実によれば、本件土地は、大正一三年ころ以前において公共用物たる性格を有していたものといわなければならない。しかも、弁論の全趣旨によれば、その後、本件土地につき、老司川の管理者による明示的な公用廃止の意思表示がなされていないことを認めることができる。

2  公共用物は、行政主体によつて公用廃止の意思表示がなされない限り、時効取得の対象となり得ないというべきである。しかし、その意思表示は、必ずしも、明示のものに限られる必要はない。公共用物が長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、公共用物としての形態、機能を全く喪失し、その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続し、それにも拘らず実際上公の目的が害されるようなこともないという状況から、もはやその物を公共用物として維持すべき理由がなくなつたような場合には、右公共用物については、もはや黙示の公用廃止の意思表示がなされたものとして、時効取得の対象となり得るものと解するのが相当である。

3  本件土地について検討してみるに、本件土地が水路としての外観を失ない、公図と現況の不一致があることは、当事者間に争いがなく、この事実に、<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められ、これを左右する証拠はない。

(一)  大正一三年ころ、老司川に沿つて存在した曲りくねつた道の幅員を拡げ、直線化して、県道神埼線が完成した。右の工事によるも、本件土地から南の老司川水路がほぼ従来どおり残つたのに対し、本件土地から北の老司川水路は、完成後の県道に沿うよう改められた。水路であつた本件土地は、以南にある従来の水路と以北に作られた新水路とを接続する部分として、水路に変更が加えられた結果、水路として不要となり、水路でなくなつた。水路は、本件土地の西側を流れるようになつた。五〇九番一六の土地も、本件土地と同様に、水路でなくなり、陸地化し、昭和八年には、一旦、内務省のために保存登記された後、払い下げられた。本件土地だけは、依然、未登記のままである。

(二)  原告が五〇九番一六の土地を購入した昭和二二年ころには、本件土地は、完全に陸地化しており、五〇九番一六の土地と本件土地との間にさしたる高低差なく、一様に草が生い繁つているなど、五〇九番一六の土地と同一の形状を示し、両土地を識別するものがないばかりか、本件土地がかつて老司川の水路であつたような形跡を止めるものは何もなかつた。

(三)  本件土地西側部分における老司川の水路の幅は約四メートルであるが、これは、本件土地以南の上流及び以北の下流の川幅とほぼ同程度である。

(四)  昭和二二年ころから今日に至るまで、本件土地部分で老司川が氾濫したことはない。また、前記認定のとおり、原告は、昭和三九年ころ、本件土地と堀川五五八―九番地の土地との間を架橋して、老司川水路の上に貸店舗を建築したのであるが、その際、老司川管理者である福岡県知事から公用水面占用許可を受けており、右許可は、昭和五一年三月三一日まで継続された。

(五)  老司川管理者は、原告が本件土地を宅地として占有していることに対して、何らの異議も述べたことはなく、原告が利用するままに放置していた。

4  右認定事実を総合すれば遅くとも原告が五〇九番一六の土地を買い受けた昭和二二年ころまでに、本件土地は、水路としての形態、機能を全く喪失しており、原告の占有が継続されてきたにもかかわらず、河川管理上何らの支障もきたさなかつたことが認められる。したがつて、本件土地については、右昭和二二年当時、既に黙示の公用廃止の意思表示がなされていたものと認めるのが相当である。

5  被告は、本件土地が水路としての形態、機能を喪失した後も、老司川水路の機能維持のために必要な土地として、なお公共の用に供されていたのであるから、未だ公用廃止がなされていないと争う。しかしながら、<証拠略>を総合すれば、原告が五〇九番一六の土地を買い受けた直後の昭和二二年末ころ、水さらえをするなど直接老司川の水路の機能維持にあたつていた老司井堰水利組合の組合長梅崎惣太郎が、本件土地を原告が占有することを前提として、原告が本件土地に築こうとしていた護岸石垣の位置を指示したこと、昭和二三年四月ころ以降の原告の本件土地占有に対して、老司川管理者ばかりでなく、右組合までが何らの異議も述べなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。

右認定事実によれば、本件土地は、昭和二二年当時、既に、老司川の水路の機能維持のため、必ずしも必要とされていなかつたというほかない。それゆえ、被告の右主張は理由がない。

四  以上の事実関係を基礎にして検討するに、先に説示したとおり、原告が、今少し注意を払うならば、五〇九番一六の土地として指示された所が、五〇九番一六の土地の面積に比べて、それより広い本件土地をも含めたものであることを容易に知り得た筈であると考えられるし、右土地を使用し始めて建築した建物の床面積が、それだけで五〇九番一六の土地上に収りきれないことに気付いた筈である。このことを考えるとき、原告が一〇年の取得時効を主張するにしては、右の過失を看過することができず、到底右主張を採用することはできない。しかし、原告が、本件土地を自主占有して二〇年を経過した昭和四三年四月ころに時効が完成し、本件土地の所有権を取得したものと認めるのが相当である。

五  よつて、原告の本訴請求は、理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田郁郎)

別紙物件目録 <略>

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